昭和からの贈りもの 第6章 昭和13年〜16年 東京外国語学校時代の記録

 6-6.昭和13年頃・ダットサン   ・ 


昭和13年頃のダットサン

この写真に写っているのは伯父ですが、これを見た伯父は、

「いや〜懐かしいな〜ダットサンだ!場所は千住大橋かな〜!
知り合いから借りて、九州出身の大学の仲間と乗りに行った時のものだな〜」

と懐かしそうに語ってくれました。

私の記憶では伯父が自動車に乗っている姿を見たことはなく、免許証を持っていたのかしら?と思って、改めて聞いて見ましたところ、

「免許証?持ってないよ!
な〜に!この頃は、免許証は申請するだけで大丈夫だったんだよ!
確か王子駅のロータリーでちゃちゃちゃっと何回か回って練習してから行ったな〜」 

と笑って教えてくれましたが、全く驚きの返事でした。

私もペーパードライバーですが、車を運転する時は免許が必要な事は判ります。
でも免許が無くても大丈夫なんて聞いた事も無く、原付でさえ必要なのに・・・と思ったら、この写真が撮られた昭和初期の頃は、排気量750cc以下の小型自動車や三輪車であれば、申請すれば試験無しで許可が下りたそうです。
その為こうした小型自動車の人気が一気に高まり、写真のダットサンや三輪自動車などが大衆に受け入れられていったそうですが、今思うと信じられない時代です。

もっとも、自家用車というものはまだまだ庶民にはほとんど普及していない時代で、走っている車の台数も少ない頃でしょう。
写真をみても、橋の手前で停まって写真撮影をしているくらいです。
交通規則も今のように細かくはなかったようですので、それが普通だったのでしょうね。


写真の車ですが、伯父のダットサンという言葉を元に、乗っている車を調べましたら、昭和12年頃(1937))に日産自動車から販売された【ダットサン十六型フェートン】のようです。
昭和10年の出来事 1934】にも当時のチラシがありますが、チラシをみますと、上の写真のダットサンと非常に似ています。

排気量は722ccですので、確かに免許の試験は無い750cc以下です。
一応4人乗りで、最高速度は80kmq程だそうですが、幌が取り外せるようで、なかなかおしゃれですね。

思いますと、伯父の性格からしまして、
「新しくカッコいい車が出たから皆で乗ろう!」
となり、大学のみんなで乗っていたのでしょうか?
となると、この車が発表された昭和12年か13年に撮影されたものと思われます。

尚、写真の橋は「千住大橋ではないかな〜」との事で、更に最近になって復元された親柱が似ています。
が、昭和2年に架けられたという【千住大橋】は、やはり違うようです。


復元された親柱

昭和2年架橋の千住大橋

形からしますと、昭和3年に架けられ、吊橋のような形が特徴と言われた【清洲橋】では?
とも思ったのですが、微妙に違うようです。
さまざまな資料を探したのですが、残念ながらこの橋が何処であったかは、未だに不明です。


架橋間もない頃の清洲橋・絵葉書

この橋について、先日都内のMさんより「戸田橋」では?とのご指摘を頂き、調べましたら昭和7年に完成した3代目の戸田橋である事が判りました。
詳しくは【
6-46.昭和13年頃・戸田橋】に掲載しております。


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