昭和からの贈りもの 第6章 昭和13年〜16年 東京外国語学校時代の記録

 6-7.昭和13年頃・筑波山   ・ 


筑波山神社/昭和13年頃

筑波山旅館 江戸屋/昭和13年頃

こちらの写真は、日付も場所の記載がない数枚のネガで、何処か不明でした。
その不明な写真をまとめているうちに、少しずつ線と線で結ばれてきて、場所が判明した写真です。

まず左上の写真を拡大しましたら、中程の石柱に《筑》と《社》の文字が彫ってあるのが判りました。
また右上の写真の屋根には斜めになってはいますが、かろうじて《屋戸江》ではなく【江戸屋】と読める看板が見えます。


江戸屋だけでは何処なのか判りませんでしたが、【筑】ということは【筑波】では?
そして【社】というのは【神社】のことでは?
と思って調べましたら、茨城県の筑波山に【筑波山神社】があることが判り、近くには、【江戸屋】という老舗旅館がありました。

そして下が実際に筑波山の麓に行った時の写真です。


筑波山神社への参道/平成20年7月

現在の筑波山 江戸屋/平成20年7月

筑波山のケーブル乗り場に向かう坂道には、昔ながらの土産物屋や宿が立ち並んでいます。
平日だったこともあって人通りは少なかったものの、かつては参拝の人たちで賑わっていた参道です。

この筑波山神社へと向かう参道の終点に、【江戸屋】がありました。
叔父が泊まった昭和13年頃とは違い、外観も綺麗になっていましたが、この【江戸屋】は寛永5年(1622)創業ということですので、なんと380年の歴史の旅館です。

また筑波といえば《ガマの油》が有名ですが、この《ガマ油売り口上》を代々受け継いでいるのが、この江戸屋の女将さんで、現在19代永井兵助として、ガマ口上を披露していらっしゃるようです。

そしてこの江戸屋の横に、見覚えのある光景がありました。


70年前と同じ筑波山神社前

戦後に出来た筑波山神社前の土産物屋

大きな石の鳥居があり、石畳が伸びる先に立つ社殿は、70年前に叔父が撮ったものと一緒でした。
ただ左側には古いお土産やさんがあり、昔と違うようなので、お店で聞いたところ、戦後に建ったお店とのことで、それ以前は何も建っていなかったそうでした。

伯父の写真には神社仏閣が比較的多く、その由緒なども調べてきましたが、【筑波山神社】は今までの中でも一番歴史が古い神社です。
それも江戸時代や室町鎌倉などではなく、何と関東に人々が住むようになった頃から筑波山は信仰の対象とされ、筑波山の男体山と女体山が、それぞれ男ノ神(いざなぎのみこと)、女ノ神(いざなみのみこと)として祀られたのが、三千年前とも二千年前とも言われています。

そうしたことから筑波山参拝の人々が多く訪れる地でもあったようで、そうした筑波山参拝者の旅籠として、江戸時代初期に創業したのが江戸屋のようです。

他にも、不明だった写真の中に、山で撮ったと思われる写真があり、これらは外国語学校時代に筑波山にハイキングに行った時の写真であることが判りました。


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