昭和からの贈りもの 第4章昭和9年〜12年 東京市立第2中学校時代の記録 後編

 5-51.昭和12年頃・きのこ栽培   ・ 


自宅のきのこ栽培/昭和12年頃

昭和12年頃の写真の中に、ちょっと変わった写真があったので、伯父に聞きましたら、

「あ〜これはキノコだ!むか〜し家で栽培した事があったな〜 結構栽培していた記憶があるけど、面白かったよ・・・」
との事でしたが、皿の上の菌床らしきものから、キノコが生えているのが見えます。

実は我が家でもシイタケの栽培をしたことがあって、その時は「家で採りたてのシイタケが食べれるとは凄い!」と思い、こうした事は最近になって出来るようになったと思っていたのですが、伯父の写真を見て驚きました。
何と70年以上も前には、一般家庭でキノコの栽培が出来ていたと言う事です。

調べてみましたら、キノコの栽培は明治大正時代には、原木栽培が行われていたようです。
が、あくまでも業者がシイタケの原木を使って手作業での栽培だったようです。
これが昭和10年頃になって、キノコの菌の研究とともに、培養菌の配布がなされ、手軽に栽培できるきっかけになったとの記録があります。
とは言っても、一般的に家庭で栽培はされてはいなかったようで、あくまでも伯父宅で興味を持って何処かから手にいてれ栽培をしていたようです。

それにしても、古い写真には、かなりのキノコが写っていますし、下の段に見えるのもキノコでは・・・
まるで商売用のきのこ栽培にも見えます。

キノコと言えば、秋の味覚の代表です。
が伯父の家では秋でもないのにキノコを栽培してご近所やお仕事関係の方々に、「珍しいものがある・・・」と言って配っていたのでしょう。

そして下が現在の家庭用のシイタケ栽培です。
小さな芽のようなシイタケが出ると次第に大きくなって行き、次から次へと出てくるもので、栽培方法によっては長く収穫できます。


現在のシイタケ栽培/平成19年


先日昭和9年4月の新聞で、きのこ栽培の広告記事を見つけました。
下がその記事ですが、《誰にでも容易に作れる食用茸の新栽培法》と紹介されていました。


記事によると、

「食用茸の栽培は面白い副業だ」とは誰でもお考への事と存じます。
全く趣味のある面白い副業でありますが、残念ながら往来の栽培法では茸の発生するのは限られた僅かの季節のみです。
且つ着手してから茸が發生するまでに数年間を要し、しかも都會の方では栽培するのが困難で、誰がどこでも手軽く取り掛かる訳には行かなかったのであります。
ところが!…ところがです。皆さん…世はまさに科學時代です。
今までまるで茸の事なんか御存知なかったお素人の方にでも楽しみ乍ら栽培出来、然も材料は廃物同様の鋸屑(のこくず)や空瓶を利用して、ほんの台所の片隅か戸棚の中のような狭い場所でも、好みのときにいつでもモクモク生やす事が出来る科學的新栽培法が発明されてゐるのです。
初めは半信半疑でこの新栽培をなさった実験者により、実際に茸が季節外れにニョキニョキと發生したとか、観賞用として高價に販賣したとか、食用として販賣して殆ど資本の不要な副業だ、と続々と感謝に満ち溢れたお喜びのお知らせが澤山あります。
自然からは秋に限って恵まれる茸の恩恵を、科學の力でいつでも家庭で楽しみ乍ら栽培できるなんて、本当に素敵ぢゃありませんか。
論より証拠、僅かな費用で作れて、如何に科學と文明の進歩を取り入れた趣味を重ねた生産的副業であるかは、次に掲げる実験者の御報告によっても明らかなことと思ひます。

などの記載が記されています。


また上のように、体験者の感想と《ナメ茸》の写真も掲載されており、とにかく不況に強い科学的新製品と言う触れ込みです。

こうした事からもきのこ栽培は昭和9年には一般的に宣伝され普及しつつあった事が判りました。
平成24年7月25日 追記

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