6-14.昭和14年・宇都宮 大谷石採掘場 ← ・ → |
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こちらも同じ宇都宮の写真と一緒の袋に入っていた写真ですが、岩肌が見える山々が見えます。 同じような景色の写真が何枚かあり、これらを叔父に見てもらったところ、 「あー、これは宇都宮の大谷石だ!おじいさんと一緒に行った時だな〜」 と申していましたように、宇都宮駅から10km程にある、大谷石の採掘所近辺の写真のようです。 東北自動車道の大谷パーキングの近辺と言えば判りやすいでしょう。 大谷石とは、大谷町で採掘される石材で、軽くて加工がしやすく、耐火性もあったことから古くから土蔵や建築物の外壁などに使用されている石材です。 確かに宇都宮近辺には、この大谷石を用いた土蔵が現在も多く建っています。 右の写真にも石のベンチが見えますが、これも大谷石のようです。 この大谷石の歴史は古く、1500年前の古墳からもこの大谷石の石棺が見つかっています。 江戸時代には隅田川沿いに大谷石の問屋場が何軒もあった程で、江戸を中心に利用されていました。 また大正11年に建てられた帝国ホテルは、この大谷石が用いられ、現在も博物館明治村にそのホテル玄関部分が残されています。 因みに翌年の関東大震災では近隣を火災が襲いますが、大谷石の帝国ホテルの被害は少なく、改めて大谷石の優れた耐火性が証明されたそうです。
そして下がその大谷石の採掘場です。 岩肌にぽっかりと大きな穴が空いていますが、写真が撮られた当時は、機械で石を掘り出すのではなく、手作業で掘っていたようです。 また掘り出した石は1本150kgもあったそうですが、それを背負子で担ぎ、人力で外へ運んでいたそうです。 この場所は現在は採石はされておらず、【大谷資料館】として公開されていますが、この大きな穴は更に上下に大きくなっていますので、この光景は珍しい写真かもしれません。
そして上の写真も大谷石採掘場近辺です。 中ほどに家屋があり、そこに伸びる一本道・・・と当初は思っていましたが、調べるうちに、この頃は東武大谷線という、採掘した石を専用の電車で運んでいたことが判りました。 更にそれ以前は、人車軌道という人の手で押して進むトロッコのようなもので運んでいたことが判りました。 もしかして?と拡大したのが下の写真です。 一本道と思っていたのは、どうやら線路のようです。 そして線路の先にある家屋は採石場の小屋、もしくは大谷停車場かもしれません。 因みに下は宇都宮人車軌道の大谷停車場を写した古い絵葉書ですが、岩山の下の駅舎と言い、駅の屋根と言い、叔父が撮影した様子と似ています。
尚、人車軌道とは、軌道(レール)上の客車や貨車を、人の力で押し進める鉄道の事です。 上の写真でも、人が押している様子が写っていますが、人件費の安さや、建設費用も少ない事から、明治中頃から登場し、幹線鉄道への接続線として全国で29の人車軌道があったそうです。 |
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