昭和からの贈りもの 第4章昭和9年〜12年 東京市立第2中学校時代の記録 後編

 5-15.昭和10年・竹岡海水浴場 2   ・ 


竹岡市内の金物店/昭和10年

こちらの写真も伯父兄弟が水着姿で写っており、前頁と一緒の写真です。
とすると、竹岡海水浴場のお世話になった家の方と一緒かもしくはその家の前では?
と思い、写真に写っている【竹岡商工會】という文字や、【打刃物】、【萬金?】という文字を頼りに、本やインターネットで調べたのですが、やはり探すよりも実際に行って見るのが一番でした。

竹岡の農作業中の方や、漁港の方々に写真を見て頂きましたら、皆さん共に,

『《かねどん》の店に似てるな〜』
との事でした。

《かねどん》とは昔からの地元の金物屋さんで、竹岡には一軒しかないとのことでしたので、早速場所を聞いて行って見ましたら、そこにはまさに70年前と同じ建物が建っていました。

日除けの屋根こそありませんが、一階の屋根の瓦は同じ感じで、間口も同じようです。

更に左隣の奥の家屋も、屋根の形といい、石垣の積み具合といい、70年目とまったく同じ屋根や石垣です。

《かねどん》という呼称も、金物を扱っている《かね》のお店ということで《かねどん》と呼んでいるようです。


70年経った同じ場所

古い写真の【打刃物】の金物店は、昔あった建物の隣で【川口金物店】として営業を続けていましたが、改めて古い写真をよく見ていましたら、日除けの真ん中にも【川口】という文字がある事がわかりました。

因みに、4男の伯父が首に提げているのは、水中眼鏡のようです。

現在の金物店の前は、下の写真に写っているように国道127号線が走っていますが、昭和10年頃は当狭い砂利道の県道だったそうです。

確かに上の昭和10年の写真を見ますと、金物店の前はコンクリートなのに、道路は未舗装のようですし、歩道も今よりも広いようです。

また側溝も見えますが、現在の国道にもその側溝の跡が残っています。
ということは、昔の道路幅は現在の半分程しかなかったようです。

もっとも交通量は現在の比ではありませんので、これで十分だったと思います。

古い写真を手に、【川口金物店】にもお邪魔し、奥様に写真を見て頂き、色々な事が判りました。

まず上の写真ですが、確かに昔は金物屋の店舗として営んでいたそうで、現在は昔の店舗の横に新しくお店を構えているそうです(赤いテント)。

現在の赤いテントの店には、かつては家屋が建っていたそうで、夏の時期は、【海の家】として貸し出しをしていたそうです。

そういえば農作業中の年配の方も、
『昔は夏になると、母屋は人に貸し、儂等は小屋で生活しとった・・・』
とおっしゃっていましたが、夏は人に母屋を貸すという事は、当たり前のことだったそうです。

そうしますと、伯父たちはこの金物屋さんの家を借り、この竹岡で夏休みを過ごしていたのかも知れません。



現在の金物店と国道127号

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