6-29.昭和15年・皇紀2600年 2 ← ・ → |
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皇紀とは先にも述べましたが、明治政府が明治5年に設けた天皇制の年号で、初代の神武天皇の即位を元年とし、西暦よりも古い紀元前660年を皇紀元年としたものです。 戦後には皇紀は使われなくなり、現在も皇紀の表記は見かけなくなりましたが、明治大正と戦前までは、一般的に皇紀と元号が使われていたそうです。 そして昭和15年(1940)が丁度皇紀の2600年目という事で、この年は様々な催しが行われ、橿原神宮や明治神宮などで盛大な催しなどが行われました。 そして11月10日には上の写真のように、宮城(皇居)において盛大なる式典が行われ、同時にこの式典にあわせて《皇紀二千六百年奉祝曲》が作曲され演奏されました。 また、この皇紀2600年を記念して、さまざまなものが出版され、記念碑、記念植樹なども全国的に行われ、また公園なども新しく整備されました。 小金井公園なども、この皇紀2600年を記念して整備された公園のひとつです。 また左の写真は《紀元二千六百年》といい、行進曲風に作られた皇紀2600年記念の唱歌です。 この頃は戦時中であり、さまざまな規制や統制が敷かれていた時代ではありましたが、この皇紀2600年記念祭のみは別だったようで、この5日間のみは、昼酒にも許可がおりたそうです。 |
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これ以外にも皇紀2600年を記念して、この年は第12回東京オリンピックが決定していましたが、戦争を理由に返上しました。 また紀元2600年記念日本万国博覧会も決まり、チケットも発売されていましたが、戦局の悪化で中止されましたが、この博覧会にあわせて作られたのが勝鬨橋です。 博覧会会場の月島地区と都心を結ぶ橋として作られ、船が通るたびに橋が開くという橋でしたが、昭和45年の開閉を最後に橋は閉じたままになっています。 |
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現在も皇紀2600年を記念して奉納された、狛犬や石像などが、さまざまな神社などに見ることが出来ます。 昭和10年頃・京成電鉄寛永寺坂駅にある国旗掲揚の土台もこの皇紀2600年を記念して奉納されたものですが、横面には【皇紀2600年記念】、そして裏側には【昭和16年12月8日】と【上野桜木町有志】と掘られ、国旗を掲揚する輪が錆びたまま残っています。 また、【昭和10年・皇紀】にある今戸神社の石碑もそうですが、こちらは【海軍大将有馬良橋謹書】となっています。
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