昭和からの贈りもの 第6章 昭和13年〜16年 東京外国語学校時代の記録

 6-19.昭和14年・大島連絡船   ・ 


大島 元村港/昭和14年
上はどこかの港のようですが、写っている学帽のマークで、東京外国語学校時代ということは判っていました。
後ろは港のように見え、船も見えますが、軍の船ではなさそうです。
また街には「カルピス」や「味の素」といった看板も見えますので、軍港でもなさそうです。


どこの港の写真なのかは、なかなか判らなかった写真でしたが、前頁の三原山の写真が判明し、その後
「大島へは芝浦から大きな船に乗って、半日かけて行き、更に大島近くで小さい船に乗り換えてから行ったな〜」
という伯父の言葉で判ったのがこれらの写真です。

下の写真も当初は不明な写真でした。
船にしてはぎゅうぎゅう詰めにも見えますし、隅田川の連絡船かとも思いましたが、隅田川には山は見えません。

最初は伯父も判りませんでしたが、【乗り換え】という事で思い出し、伯父に再度
「この伊豆大島に行った時の船では?」
と聞きましたところ、「そうだ!」と思い出してくれました。

それによると、大島から帰る際に撮ったようで、上の港は乗換えする船から見た、当時の元村港で、下の写真は、島と大型船を結ぶ乗換船のようです。


伊豆大島への乗換船/昭和14年

伊豆大島への乗換船/昭和14年

そして下に写っているのが、乗換船から大型船に乗り移っているところを撮ったものです。
波に揺られる中、梯子に乗り移ろうとする女性の姿と、それを手伝う船員さんや、乗換口に向かう人達のようですが、この日は波があまり高くないから良いようなものの、荒波の日は大変だったことでしょう!


伊豆大島航路船への乗り換え中
/昭和14年

伊豆大島航路船への乗り換え中/昭和14年

この写真の撮られた翌年の昭和15年には、大型船が接岸できる岸壁や待合施設もていますので、こうして船を乗り換えて島へ渡る最後の頃だったようです。
下はその頃の元村港の絵葉書ですが、見て判るように、港近くは石がごろごろし、とても大型船が接岸できる感じではありません。
遠くに連絡船が停留していますが、この間を乗換船で行き来していたと思われます。


大島元村桟橋/絵葉書

因みに昭和15年のガイドブックを見ると、大島行くには、芝浦、下田、浦賀、熱海、伊東から船が出ていたようですが、東京からですと、芝浦港から7時間半の時間がかかっていたようです。
現在は東京港からは大型客船で8時間半(横浜経由)ですがジェット船ですと、1時間45分で到着です。
また運賃は片道2円、往復3円60銭との事です。
この時代カレーが20銭、映画が55銭、新聞1ヶ月90銭ですので、今の感覚では片道6000〜8000円程度でしょうか?
現在は2等船室5070円から、特等15200円。ジェット船が8250円ですので、運賃は同じ感覚かもしれません。


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