5-22.昭和10年・鹿沼 黒川 ← ・ → |
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こちらも榛名山と一緒の袋に入っていましたが、大きな木の下で、トウモロコシを食べているようです。 前頁の榛名山と同じような服装ですが、足元が下駄履きですし、伯父も「鹿沼から榛名山に行った・・・」と申していましたので、昭和10年の夏休みに鹿沼に兄弟で訪ねた時の1コマのようです。
次は川で釣りをしている様子ですが、1列に並んで釣っている姿がなんとも楽しそうですね。 ただ、竿を川に付けているようですので、釣りではなく突こうとしているのでしょうか? いずれにしても、伯父たちのおじいちゃんから手ほどきを受けているのでしょう。 空には雲が浮かび、青空が広がっていた様子が伝わってくる1枚です。 |
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こうした大きな川は榛名山にはありませんので、やはり母の実家の鹿沼の川のようです。 としますと鹿沼市内を流れる黒川でしょうか? 現在も黒川は鮎釣りや渓流釣りの人たちが多く訪れる川のようですし、上流では岩魚や山女も釣れるそうです。 右ではカンカン帽のおじいさんが真剣に釣りをしているようですが、川の後ろには長い橋も見えます。 この頃長い橋が架かる場所となると、やはり鹿沼町(現鹿沼市)の中心部の黒川での釣りのようです。 この黒川は思川の支流として、鹿沼市内を縦断する河川で、毎年5月にはさつき祭りが開催され、その際黒川では花火大会が開催されます。 写真でも判るように、市内を流れる黒川は比較的浅く、昭和初期はとても綺麗な清流だった事と思われます。 右下は現在の黒川ですが、今では護岸も綺麗に整備されていました。 鹿沼市内でも比較的長い府中橋から撮影したものですが、もしかして上の写真はこの近辺で釣りをしていた様子を撮ったものかもしれません・・・・ 尚、明治大正時代の写真でも度々登場するように、この頃は鹿沼市ではなく、鹿沼町でした。 古い写真館のプリントには《野州鹿沼》などという表記もありましたが、鹿沼が市制となるのは、戦後の昭和23年の事です。 |
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