昭和からの贈りもの 第4章昭和9年〜12年 東京市立第2中学校時代の記録 後編

 5-20.昭和10年・榛名湖畔 パノラマ写真   ・ 


榛名湖 群馬バス待合所/昭和10年

ここからは、最初はバラバラの状態でしたが、山や湖の風景など景色別に分けているうちに、少しずつ同じ場所で撮ったものと判明したものです。
その中の最初は、砂利道を走るバスの写真です。



写真には、山を登って行く、丸みを帯びたバスが見えますが、よく見ますと横の窓は三つしかありませんので、結構小さめな可愛いバスのようです。
昭和8年の富士山麓鉄道】にもバスの写真がありましたが、更に小さいバスに見えますので、15〜20人乗りでしょうか?
またバスが走る右には道路標識らしきものも見えますが、S字に見えるのは、カーブが続くという標識でしょうか?

最初は何処かの登山バスと思っていましたが、続いて下の写真に上と同様の建物が見え、湖らしきものと山が見えます。
これで2枚は同じ場所と判りました。


榛名湖畔と待合所/昭和10年

写真には丸太の柱で出来ているの建物が見えますが、湖畔に立つ見晴らし小屋でしょうか?
それにしても、手前の見晴らし小屋は壁もなく、更に柱の支えも少なく、見るからに危なっかしいようにも見えます。

そして同じような湖の写真に、明らかに榛名富士とわかる写真がありました。

この写真がきっかけで、上の写真も榛名湖畔の写真ではないかと思い、改めて見ているうちに、上の写真の特徴のある山は、掃部ヶ岳の【硯岩】と判りました。

としますと、最初の写真は榛名湖畔にある【群馬バス待合所】のようです。

写真のバスは高崎行きのバスで、カーブの標識は、この先の天神峠のことのようです。

伯父に聞きましたところ、

「母の実家の鹿沼に近かったので、鹿沼から両毛線で榛名湖へも何度か行った記憶があるな〜。」
「兄弟で登山もしたよ・・・」

との事でしたが、湖面に映る山々がとても綺麗ですね。

榛名湖へのアクセス方法のひとつは、今も昔も高崎からバスになりますので、この昭和10年当時も同じ高崎からのバスで訪れたようです。

因みにこの当時のバスの運賃や所要時間は
《高崎駅》→《榛名神社》1時間20分 80銭
《榛名神社》→《榛名湖畔》10分 30銭(天神峠経由)
と記されています。

現在は道路も整備され、マイカーの旅行客も多くなりました。
また温泉宿や旅館も増え、榛名湖はわかさぎ釣りとしても有名となりましたが、昭和初期も榛名湖や榛名山、そして榛名神社と、名だたる観光名所だったようです。

これ以外にも湖面に映る山を撮った写真があったのですが、調べていくうちに、これらも榛名湖での写真である事が判りました。

右2枚目がそうですが、山の形からしますと、【烏帽子岳】のようです。

3枚目も同じ榛名湖畔と思っていましたが、左の山の形が上の待合所の山と似ているようです。

もしかして・・・と思って写真をあわせて見ましたら下のように繋がる事が判りました。


榛名富士/昭和10年

烏帽子岳/昭和10年

なんと榛名湖畔のパノラマ写真を撮っていたようです。
たまたま、写真を重ねて見たところ、同じ山である事が判って試したのですが、どうやら伯父は最初からパノラマ写真を撮るつもりでカメラを向けたようですが、70年以上も前に、こうしてパノラマ写真を撮っていたとは驚きです。

尚、こちらは【昭和6年・榛名富士】に掲載の榛名富士です。
右側には山焼きの跡が見えますが、上の昭和10年の榛名富士にも、この山焼きの跡らしき山肌が判ります。

ところで榛名富士の位置関係が一緒のようですので、このバス停があった所は、榛名富士のベストビューポイントだったのでしょうね。


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