5-17.昭和10年・竹岡海水浴場 4 ← ・ → |
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上の写真は《竹岡》での写真との記載はあったものの、漁港の方にも農作業の方に聞いても不明でしたが、前述の【川口金物店】の奥さんに、色々な写真を見て頂きながらお話をしているうちに、 『あっ!これはうちのおじいちゃんだ!』 『古い写真にもマントを着た姿の写真があったけど、おんなじ顔だわ・・・とすると、やっぱりお宅の伯父さんは家に泊まっていたんですね!』 『おじいちゃんは、いろんな人と話をするのが大好きな人だったから・・・』 と当時を思い出されていましたが、そう言えばなんとなく、上の写真の方と今の奥様のお顔も似ていらっしゃる感じがしました。 そうしますと、最初の写真で、金物屋さんの前で、伯父たちと一緒に写っている恰幅のいいおじさんは、こちらのひいおじいさんなのでしょうかね? さすがに今の奥様は記憶がないとのことでしたが、その方にお願いして家をお借りしたのかもしれません。 金物屋さんの方々と一緒に釣りをしているとなると、写真の川は、竹岡に唯一流れている「白狐川」だと思われます。 現在は護岸され、大きな川幅となり竹岡海岸まで注いでいますが、昔は草が生い茂り、魚やどじょうが一杯だったようです。 |
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右は、その白狐川の下流ですが、真ん中に鳥居が見えます。 この鳥居の奥の山道を登ってゆくと、十二天神社となります。 更にこの山左側一帯は、かつて《造海(つくろみ)城》という室町時代に築城されたお城があった場所で、現在もけもの道を登ってゆくと、当時の堀や石垣、井戸などの遺構が残っています。 その後戦国時代には里見氏の支城となり、その後幕末には台場が設けられたりしたそうですが、場所が場所だけに、かつては軍事拠点としても重要な場所だったそうです。 後日これらの出来事を話しながら、再度伯父に写真を見てもらった所、また思い出したようで、 「そうそう!確かこの金物屋さんの娘さんが、この海の家に泊まった事がが縁で、上野の家に何か見習いに来ていたな〜」 との事で、改めて、金物屋さんに泊まった記憶が蘇ったようです。 因みに昭和10年前後の竹岡を調べましたら、両国駅から2時間半程の所要時間で、貸家は44軒あったそうです。 |
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