7-5.昭和17年・習志野練兵場 ← ・ → |
||||
こちらには《昭和17年2月 習志野にて写す》との記載がありましたので、陸軍習志野練兵場のようです。 伯父が入隊したのは、青山にあった【東部第七部隊】=【青山第四連隊】で、現在の神宮外苑一帯に部隊がありました。 そこから演習で習志野練兵場に行ったようですが、それにしても、今では信じられないほど広い場所があったことが判ります。 この広大な場所は、江戸時代では放牧地とされていたそうで、習志野原と命名したのが、明治天皇である事は《昭和13年頃・軍事演習 2》でも記載の通りです。 戦後は、この広大な土地が開拓され、一部は陸上自衛隊の習志野駐屯地とされていますが、他は学校や住宅地へとなり、現在の習志野市が形成されて行きます。 伯父は中ほどに座っていますが、左隣の方の肩の階級章が伯父たちが星が★ひとつに対して、★★★と三つのようですし、真ん中でどっしりとしています。 伯父に聞いたところ 「彼はこの時の班長で、招集されたんだよ」 「近衛兵といって宮城(皇居)の守衛をしていたが、一旦卒業したのち、我々の教官助手として召集されたんだよ」 との事でしたが、この召集されたという班長さんは、今後の写真でも度々お目にかかります。 下も同じく習志野での写真ですが、後には家屋らしきものも見えますが、これは兵舎のようです。 人数も80名近く、よく見ると階級章がさまざまなようですし、前頁の入隊時の方と同じ面々が見えます。 「入隊して最初の新兵の訓練で、習志野に行ったときのものだよ・・・」 「写っているのは同期の新兵たちだよ・・・」 との事でした。
|