昭和からの贈りもの 第6章 昭和13年〜16年 東京外国語学校時代の記録

 6-24.昭和15年 北アルプス縦走 1   ・ 

このページに掲載の写真は、昭和15年7月末から8月5日にかけ、伯父兄弟で北アルプスを縦走登山した時のものです。
写真全てに日付と説明が記載されていたので、何処のルートを踏破したかが良く判りますが、この時は6泊7日の行程だったようです。


15.7.31 濁ノ小屋ニテ 高瀬川ヲ望ム

15.7.31 濁ノ小屋 高瀬川

まずこちらの2枚は濁ノ小屋と高瀬川と書かれていますが、7/31がこの登山開始の日のようですので、前日に長野県大町まで汽車で向かい、翌早朝から登山を開始し、最初の休憩が、この濁小屋だったのかもしれません。
現在この一帯には高瀬ダムが出来た為、この濁小屋はダムの中に沈み、この場所では高瀬川の景色も見ることができませんが、かつてはこの渓谷沿いには、山で伐採した木を運ぶ為の林用軌道もあったようです。

15.7.31 高瀬川

15.7.31 烏帽子ヨリ大天井ヲ望ム

濁小屋はダムに沈みましたが、ダムの先には、徒歩でないと行けない秘湯と言われる《湯俣温泉晴嵐荘》があります。

ダムから歩いて3時間もかかる為、登山客の利用が多いそうですが、河原を掘ると温泉が出てくる程の温泉との事で、左上の写真の高瀬川の上流にも温泉が沸いていたのかもしれません・・・。

左下には《烏帽子ヨリ大天井を望ム》と書かれていますので、烏帽子岳の事のようです。

現在の高瀬ダムから烏帽子岳の登山コースは、北アルプスでも急登山ルートのひとつとされていますが、モノクロの中にも晴天の中の登山だった事がわかります。

15.8.1 野口五郎ニテ
こちらには《15.8.1 野口五郎ニテ》と書かれています。
としますと、高瀬川をスタートし、烏帽子岳から稜線沿いに南進する通称《裏銀座縦走》と言われるルートのようです。
標高2924mの野口五郎岳で写っているのは3男の兄弟ですが、兄弟で時々山に登っていたそうです。

さて、野口五郎というと歌手を連想し、中には歌手にあやかって山の名が付いたと思う方も実際にいるそうですが、当然ながら歌手の野口五郎が誕生する前から、この山の名はつけられていました。
写真が昭和15年撮影ですので当たり前ですが、元々野口という地名と、岩がゴロゴロしていたことから、この山の名が付いたとも言われています。

尚、歌手の野口五郎の名は、この山の名を芸名としてつけたものとの事です。
当時は黒部五郎岳(2840m)という山の名にちなんで、野口ではなく黒部五郎という芸名も候補となっていたそうですが、野口五郎の方が標高が高い事からこの名に決定したそうです。

15.8.1 鷲羽岳火口

現在の鷲羽池火口/ウィキペディア

こちらは《鷲羽岳火口》と書かれています。

野口五郎岳から鷲羽岳までは、現在でも1日コースと言われていますので、朝出発し夕方に着いたものと思われます。

山の形が鷲が羽を広げたように見えることから、鷲羽山の名が付いたとも言われますが、鷲羽岳から見下ろすところに見えるのが、写真の鷲羽池火口です。

因みに下が現在の鷲羽池火口ですが、この鷲羽岳は、登山ルートとしては遠い山にも関わらず、綺麗な山並みと火口が見えることから、人気の山のひとつのようです。

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