6-3.昭和13年頃・遊覧飛行 ← ・ → |
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随分と古そうな飛行機の写真が出てきましたが、何とこれは遊覧飛行の時の記念写真だということです。 「おお〜珍しい写真だな〜。 エアーなんとかという遊覧飛行で、乗ったのは30分位だったと思うな〜 狭くてうるさかったけど、面白かったよ!」 と懐かしそうに思い出してくれましたが、右から3人目が伯父で、隣が伯父の祖父こと私の祖祖父です。 そして右端のスーツ姿が伯父の従兄弟ですが、この時の遊覧飛行の手配をしてくれた本人との事でした。 従兄弟は元々祖母の実家の鹿沼の生まれで、大正時代の写真にも何度か登場していますが、【大正5年頃・栃木県鹿沼町・祖母実家】や【大正8・伯父0歳】にも写っている坊主頭の男の子です。 伯父は健ちゃんと言っていましたが、この頃は三越に勤めており、その為伯父の家に下宿をして三越まで通っていたようです。 そして『東京で遊覧飛行が始まったから!そして日ごろのお礼に!』と言う事で、伯父と祖祖父を招待し、遊覧飛行を楽しんだそうですが、伯父も祖祖父も始めての飛行機だったそうです。 大学に入って間もない頃ではないか?という事でしたので、昭和13年頃と思いますが、操縦席が上にあって下の窓のところが乗客の席に見えます。 エンジンもむき出しのようで、今ではお目にかかれないタイプです。 写真の左側の人たちは、一緒に乗った人たちとの事ですので、そうしますと14人乗り飛行機でしょうか? 残念ながら、飛行機の機種まではわかりませんでしたが、この当時のDH66という複葉機がこの飛行機に似ており、乗員2名乗客14名乗りという旅客機です。 調べましたら、東京では昭和10年3月から、【エアタキシー】という名で遊覧飛行が始まった事が判りました。 羽田空港を出発し、江ノ島方面に向かって帰ってくるという、40分程の旅程で、料金は30円だったようです。 この遊覧飛行が同じものかどうかは不明ですが、きっと東京で遊覧飛行が始まったことから、従兄弟が招待したものでしょう。 この後、時代は戦時下となり遊覧飛行などは当分の間行われなくなります。 また、性能の良い戦闘機や爆撃機などがたくさん開発され、こうした複葉機は次第に姿を消してゆくようです。 それにしても江戸時代生まれで、いつも着物姿の祖祖父は、やはりこうした時でも、着物姿に雪駄に杖といういつもの格好です! |
昭和の出来事(昭和13年・昭和14年・昭和15年・昭和16年) |