7-12.昭和17年・近衛歩兵第四連隊大島隊 2 ← ・ → |
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前頁の近衛歩兵第四連隊の写真をみているうち、伯父が 「そうそう!この中隊長は千疋屋の社長で 大島せいいちろうさんだ!」 「召集で青山4連隊に来た人だが、50〜60歳と比較的高齢だったから戦地には行かなかったな〜」 と思い出しました。 伯父によると、あの銀座の【千疋屋】の社長さんが、伯父たち中隊の隊長さんだったそうです。 【千疋屋】さんといえば天保5年創業の高級果物店として有名ですが、確かに代々大島家が跡を継いでいるようです。 またこの写真が撮られた昭和17年頃の社長は4代目のようです。 ただお名前が大島文一郎さんという名でしたので、《文》と《せい》の間違いかもしれません。 大島中隊長の階級章をみると、ラインの中に★星二つ見えますので中尉のようです。 また写真を拡大して判ったのですが、兵舎の入り口のガラス部分の真ん中には、【大島隊】という文字も見えます。 「大島中隊長の右隣も招集された人だよ!」 と言っていましたが、伯父たちのような若い兵隊さんから、退役した方々が招集されたりとさまざまだったようです。 そう言えば伯父宛ての葉書の中に、【東部第七部隊 大島隊】というあて先が結構ありました。
上のはがきには【東京市渋谷区青山北町 東部七部隊大島隊】という住所が見えます。 差出人は伯父の父や兄弟、友人からのようですが、1通は【北支第2929部隊本部】の友人からで、もう1通は【中支派遣第141野戦郵便局氣付け】の次男からで、どちらも【検閲】の印が押されています。 こちらも同じ近衛歩兵第四連隊こと東部第七部隊の伯父宛の葉書で、1通は陸軍病院の友人からで、自宅に届いたものを転送したようです。 そしてもう1通は五男の私の父からの葉書です。 また、これらの葉書を見ると軍隊からの葉書は《検閲済》の印が押され、家族からの郵便には【検閲】の文字はありません。 この頃軍隊から差し出される郵便物はすべて検閲を受けなくてはならなかったようです。 時には黒く塗りつぶされる郵便もあったようです。 昭和17年に入隊してから1年程は青山の大島隊にいたそうですが、自宅に届いた郵便物も、こうして転送されていたことがわかります。 尚戦争が終わってようやく日本に帰ってきた伯父は、真っ先に大島さんのもとへ赴き、無事帰ってきた報告をしたそうです。 |