7-10.昭和17年・北富士演習場 ← ・ → |
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写真には、演習用の軍服を着た伯父たちが写っていますが、後ろには富士山が見えます。 とすると当時富士山麓にあった、東富士演習場か北富士演習場のようですが、富士山の形からすると富士吉田市から山中湖にあった北富士演習場のようです。 富士山麓には元々明治29年に最初の演習が行われたという東富士演習場がありましたが、北富士演習場は当時の陸軍によって昭和11年に新設された演習場です 戦後は米軍に接収されますが、その後返還され現在は自衛隊の演習場となっています。 写真の面々は伯父の同期で、皆さん星★★★3つで伯父は真ん中に立っています。 足にはゲートルを巻いていますが、靴の裏の鋲が今では見ないタイプです。 思えばこの少し前の写真には下駄や雪駄姿が多く写っていた位ですので、この頃には現在の靴の溝などは全くなく、こうした鋲で歩行を安定していたのかも知れませんね。 そう思えばある種の靴の歴史かもしれません。 それにしても写真の皆さんは随分とにこやかです。 同期ならでの笑顔だったのでしょうが、実際には 「丁度幹部候補生の教育期間の時で、3、4ヶ月の間にゴシゴシやられたから大変だったよ!」 との事でした。 こちらの写真には《佐倉六四部隊酒保前ニ於テ 十七.七.五》との記載があります。 知人の写真のようですが、階級章が星★ひとつですので入隊まもない方のようです。 佐倉64部隊とは、千葉県佐倉市にあった陸軍の部隊で、東部第64部隊=近衛歩兵第5連隊の事です。 千葉県佐倉市は、江戸時代には佐倉藩11万石の城下町があり、江戸の東の要害として佐倉城がありました。 その後明治時代になって《廃藩置県》のもと佐倉城の建物は撤去されて鎮台が置かれ、鎮台廃止の後に陸軍歩兵第二連隊が駐屯することになります。 以来佐倉には数々の連隊が駐屯することになりますが、前述の近衛歩兵第5連隊は昭和14年に新たに佐倉にて編成された部隊です。 現在はこの場所は国立歴史民族博物館が建っていますが、近辺には戦時中の遺構も数多く見られます。 |