7-1.昭和17年・横浜正金銀行入社 1942 (昭和16年)← ・ → |
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写真は昭和17年1月に自宅玄関前にて撮影された伯父ですが、珍しく背広にネクタイ姿です。 これは横浜正金銀行に入社となった時の背広のようです。 本来ならば昭和17年3月に東京外国語学校を卒業の予定でしたが、学徒出陣が発せられた事から、大学の卒業が早まる事になり、急遽前年に大学を卒業する事になりました。 そして卒業後のこの年1月に横浜正金銀行に就職が決まりました。 ただし翌月2月からは軍に入隊する事が決まっていましたので、1ヶ月しか銀行には通っていなかったそうです。 横浜正金銀行とは聞いたことがありませんでしたが、現在の三菱東京UFJ銀行の前進ともされています。 明治12年に設立され、主に外貨や貿易金融を中心とした銀行として成長して行きますが、戦後は外貨を扱う事が軍需とみなされ、GHQの指示によって解体されることになります。 |
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伯父が通っていたのは横浜正金銀行の日本橋支店で、日本橋区本石町1丁目6番地にありましたが、現在その場所には貨幣博物館が建っています。 また、横浜正金銀行そのものは戦後に解体されましたが、横浜市にあった本店の建物は、現在も神奈川県立歴史博物館として残っています。 明治37年竣工の建物は、重要文化財にも指定され、当時の優れた洋風建築物は、100年経てもその存在感を示しています。
下の写真も同じような服装ですが、一見どこか郊外の土手で撮ったものかと思っていました。 が、土手の向こうの三角屋根に見覚えがあった為確認しましたところ、【昭和16年一ツ橋】の中に写っていた建物と一緒である事がわかりました。 としますと、この場所は現在の一ツ橋近辺になります。 土手の向こうに見える三角屋根は如水会館と言い、現在も一ツ橋にビルが建っています。 一ツ橋の左手前一帯が現在の毎日新聞社が入るビルであり、当時の東京外国語学校の建っていた場所です。 また伯父はコートを着ていますので、学徒動員によって卒業が早まり、卒業後に大学にいって撮った時の写真かもしれません。
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